わたしは、元々他の人とは違うと周囲から言われて育ってきました。だから、神はわたしを拾い上げて下さったのでしょうね。
わたしは昔はオカルトマニアでした。占いや霊媒などに夢中でした。悪霊に取り憑かれそうになった経験があるので、もう占いとかは御免ですが。
元々他の人とは違うのですが、それはオカルト方面という邪悪な部分に惹かれていたという意味で違いました。
まあ、元々霊の存在には敏感でしたが。
わたしは高校生の時に聖書とイエス様を知りました。元々母がわたしが生まれる前からクリスチャンでしたが、母は熱心な信者ではありませんでした。(ぶっちゃけ聖書に固いとかより、ママ友として入ったほうが大事にされます。)
高校生から勉強し、22歳の頃くらいに邪気が抜け出て、聖化を味わいました。聖化するには正確な知識が必要です。コロサイ2:8に気をつけてください。
わたしは元々世の哲学に興味があり、
(学校の勉強は嫌いで独学が好きでした。そのため、大学には進学せず、聖書の勉強をしていました)
コロサイ2:8にあるようなキリストに従わない教えでいっぱいになっていました。そのせいで、進歩が遅れて、22歳に聖化を味わう羽目になりました。
「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」
コロサイ人への手紙 2:8 口語訳
https://www.bible.com/1820/col.2.8.口語訳
キリストに従わない教えを取り入れると心がムズムズしましたが、聖書通読をすると、謙遜になってゆきました。
聖化を味わうと、逆に世の人とは合わずに、聖書に従っているような方々とは話が合うようになりました。
聖化を味わうというのはある意味孤独となってしまうということかもしれませんが、神とは近しくなります。
ある意味自分の道を行けるので楽は楽です。
ですが、わたしはこの点を軽んじて、他人に合わせる生活をしていました。
ほとんど、周りの人との会話に入れないのです。
わざと低俗な世の人っぽい話をしてみたり……。でも、結局は交われませんでした。
でも、それでいいのです。無理に合わせる必要は全くありません。今ではせっかく聖化しているのに勿体ないと思ったほどです。
むしろ、変に気を使う事がなくて楽なので、人間との間では孤独でいいと思いますよ。
神様と通じていると、一期一会かもしれませんが、出会いを設けていただけます。
色んなゲームのようなミッションがあるので、寂しくなんかありません。
聖化をしたというご褒美なのかもしれませんね。
わたしも、聖書を知ってからの三年間は聖化せずに、ミッションも何もありませんでした。
ですが、四年目、五年目となるうちに毎年ミッションがあるようになりました。
真理に目覚めたからだと思います。
おかげで舌の盲目さからも解放され、毎晩のご飯も美味しいです。幸せなため、幸せ太りしました。
皆さんもどんどん聖化へと進んでください。